何やら事件というものは重なるようで…
夜の帰り道、自動販売機で飲み物を買おうと思ってお金を入れたが、110円を入れたところでそれ以上お金が投入できない。
諦めて、返却レバーを押してもお金が戻って来ない。
んー
しばらくがちゃがちゃやっていたが、ダメだった。
カスタマーサービスの番号が書いてあったので、電話をしてみようと携帯を探していると、近くで物音が。
自転車から人が落ちて倒れている。
しかも、倒れたまま、動かない。
えー
と思って近寄って「大丈夫ですか」と声かけしてみたが、返事がない。
教習所で、こういう声かけの発声練習をしたのを思い出しながら、しばらく声をかけていたが、どうも意識がもうろうとしているようだった。
どうしようか…と思っていたら、遠くから家族と思われる人たちが走って来た。
状況はよく分からないが、どうももともと体調が悪かったらしい?
その人たちに抱えられ一応起き上がっていた。
お礼を言われ、その件はそれで落着だけど問題の自動販売機。
販売機の前でひと騒動中なので、このタイミングでコールセンターに電話をかけるのはいかがなものか。
さっと番号だけメモをとり、少し移動して電話をかけてみた。
110円だしまぁいいかとも思ってたけど。「いえいえとんでもないです」と返された。
ムダに、お金を入れた順番とかを丁寧に説明すると、今日は遅いので明日確認してご連絡しますとのこと。
翌日、電話があり、やはり110円が入っていたとのこと。
そして、それを今からお届けしますと言われる。
すぐに来てくれた。(粗品を持って)
迅速&丁寧な対応は、さすが日本だと思った。

とにかくなんか事件が重なったのがびっくり。

ゴキブリ奮闘記

2011年8月26日
二日前にセミ奮闘記を書いたけど…(;-_-)

数日前にゴキブリが出たらしく、退治するために毒団子を置いているそばからトイレの天井に黒くてでかいゴキブリが。
足下ならすぐスプレー出来るけど、頭上って。
羽ばたいて飛んで来たら…(死)
だけど幸い、トイレのドアを1cm開ければ見える位置にいる。
飛ばれてもいいように、隙間にゴキジェットのノズルを差し込み、ゴキ目がけて噴射。
スナイパーのような狙い方w
まぁ攻撃が届かなくても、トイレに気化した薬が充満すればいずれ死んでくれるだろうと期待していたら、ゴキジェットの威力は思ったよりすごかった。
ガスが天井に届く!
ゴキブリはすぐに苦しみ出した。壁を這ってもがいている。
怖いからドア閉めたいけど、姿が見えないまま生死が確認出来ないのはもっと怖いので、ずっと目で追っていた。
すると壁伝いに降りて来て…ドアの方へ向かう……
ドアの下の隙間からこっちに来た!
そして、影に置いてあった私の靴の上に乗った!!
ひー
ゴキジェットを浴びせるチャンスだが、私の靴が間違いなく油まみれになる。
そんなこと言っている場合ではない。
靴を犠牲にし、ゴキジェットを連続噴射。
これってたぶんこんなに何度も当てなくても効果あるんだろうけど。
いつまで経っても足がピクピク動いているので何度も噴射。
そして、ゴキブリ撃破!!
さて、問題は死体の廃棄。
前、ゴキブリを捨てるだけで二人掛かりで20分かかった。
ちなみに今日、ゴキブリを倒すときは一人だったが、実はもう一人スタッフがいた。
倒した報告をすると、彼女が捨てるところを頑張ってくれた。
やー
一人だったらあんなに勇敢に戦えたか分からないな。
戦ったときは一人だったけど、心の支えと言うかw

ゴキブリ怖すぎる。
セミも怖すぎる。
夏は虫が多すぎる。

それにしても、ゴキブリもセミも人間に直接害を与えるわけでもないのに、なぜこんなに忌み嫌われているのか。
つくづく人間って勝手な生き物だと思う。

春にゴキブリの卵を大量に発見したので、大掛かりに駆除対策をやっていたのだが、結局彼らとの戦争は始まってしまった。
店中に置いた毒団子がどこまで効果を発揮するか…
ちなみに、見た目はすごくおいしそうな白い団子。人間も直接触れないくらい強烈なものらしいけど。
仕事中に団子がチラチラ目に入る。
団子を見る度にゴキブリを思い出してしまう逆効果もあるが…
なんだか心強くて頼もしい、白い団子。

セミ奮闘記

2011年8月24日
店を片付けようとしたら入り口の横に瀕死のセミが。
ガラス越しになんとか近づいて確認。ピクピクと動いているのが見える。
外に出てるもの片付けなきゃならないのに、セミを囲うように看板やらが出ている。
…どうしよう。(本気で)
ドアを開けても動かない。触らなきゃ突然バタつくこともないか?
…と思い、音を立てないようにしまうものを持ち上げてしまってみた。
とりあえず大丈夫。
変な動きに通り過ぎる人たちは「?」を浮かべたことだろう。
だが人目を気にしている場合ではない。
まだ、持ち上げられない(引きずらないとダメな)大きな物体がある。
セミを避けるのは難しい。
でも、それ以前にあることに気づいた。
シャッターを閉めたらつぶれる位置にセミがいる。
それはそれでグロい。
やはり素通りはあきらめ、セミをほうきで遠くに飛ばすことを決意。
打った瞬間に鳴くくらいならなんとか耐えられる。
間接攻撃だし、鳴くことは分かってるから耐えられる。
ほうきを持って戻ってくる。
どっちにどう飛ばすか、イメトレ。
そして通行人がいない瞬間を狙う。
一発目。
…空振り。
セミがじりじりと鳴く。反射的に私はドアの後ろに隠れる。

気を取り直して二発目。
…またしても空振り。
やっぱりへっぴり腰がいけないのか。ほうきがセミまで届いてないらしい。
三度目の正直。頑張って近づいて打つ。
そしたら…
セミが飛んだ!
きれいなカーブを描いてこっちに向かってきた!!
びっくりした私は逃げるように店の中に入る。
何かに足をぶつけて負傷w
通りすがりの人に何をしていると思われたか。
足が痛くて地味にびっこを引きながら、自分の動きに笑いながら店の奥に行き、振り返る。
セミは入って来ていない。
どこへ行ったのか…
姿が見えない方が怖い。
確かに店の方に飛んで来たのに。

まぁ、いないならいい。
さっさとドアを閉め、逃げる。
結局帰りに店の周りにもセミは確認できなかった。
瀕死のセミでも刺激を与えるとまだまだ飛べるのね。
負傷した足、ストッキングに穴が空き怪我をしていた。
びっこ引きはしばらく続いた。

そんな夜w
セミ怖すぎ。

出会いはハンター

2011年8月7日
ハンターハンターのアニメ化は第1話かららしいです。
さすがに蟻編ではなかったね。
レベルEも最近アニメになったし、なぜ過去の富樫作品が掘り起こされているのか。
やはり面白いからか。

初期ハンターハンターのアニメは私にずいぶん影響を与えた。
アメリカから帰って来て一番最初にはまったアニメ…というか、子供の頃に見てた以来にアニメを自分の意志で見た初めての作品…というか(向こうにいる間は日本のアニメを見る機会もなかったから)、なんか良くも悪くも今の私の原点というか、すごい細部まで見ていた作品。
全話録画した気がする。撮れなかった分はビデオ買ってたw
それが高校生の頃。こういう面白いアニメがあると知りしばらくしてコミックスを買い始めるわけですが、何せそれまで日本の漫画文化にちゃんと触れたことがなかったので(向こうにいた頃は友達になんとなく少女漫画(なかよし)を借りて読んでたくらい。アニメと同じで、買いたいと思っても漫画が買える環境ではなかったので、自分で選んで作品を見るのではなくたまたまそこにあるものを読んでいた感じ。でも今思うとこれも私にずいぶん影響を与えている)、
…って話が逸脱しすぎたな。
それまで少女漫画くらいしか読んだことがなかった私が、高校生の時に初めてハンターハンターという少年漫画と出会い、まず最初に「トーンが貼ってない!」ことに衝撃を受けたのを今でも覚えている。
漫画にトーンが貼ってあるのは当たり前だと思っていたのだ。
まぁ完全に少女漫画しか読んだことがなかったわけでもないけど。
「魔法陣グルグル」「ブラックジャック」あたりは向こうではまっていた漫画。
出会いと付き合いが濃い分影響力は大きいかな。
とにかく、日本には線だけで魅せる「少年漫画」という存在があることを知った。
言ってることが大げさか。
そこまでアメリカナイズされた帰国子女なわけではなく、親が漫画を読む人間ではなかったので漫画文化にあまり関わりが深くなかった。
あれ、でもドラゴンボールはほとんど持ってたし、コナンは親戚のおばさんが毎巻を送ってくれていたな。金田一も全部持ってるし。
意識の問題か。
ジャンプコミック面白い!
と思ったのが、とにかく高校生の頃。
出会いが遅かった。環境が特殊だなーと思う。

なんかハンターハンターのこと考えていたら昔を思い出してしまいました。
あと、「風のシルフィード」とかいう競馬の漫画を、ガラージセールで友達と一緒に全巻買って読んでたなw
ちなみに当時、タイトルを見て”馬がさわやかに草原を駆ける漫画”だと思ってたら競馬の話だったw
今よりも、昔に出会った作品は自分の身となっている気がする。
今考えつく物語だったりキャラだったり、掘り下げればこの頃に読んでいた漫画が多い。
あと、エヴァンゲリオンがはやってた時代に日本にいなかったので、この作品を見たのはずいぶん後のこと。(というか全部は見てない)
まぁ話題のものにタイムリーに関わらないのもいいのかもね。

話が長くなってしまいました。
とりあえず新ハンターハンターのアニメ、ちょっと見てみようと思います。

トイレと写真

2011年4月3日
…タイトルだけ見ると盗撮の話っぽい?w
「夢」の話です。

寝ている時にトイレに行く夢を見ている時は、トイレに行きたい時というのはよく聞く。
私もその夢をよく見るが、いつも面白いシチュエーション付きだったり、トイレの形自体が普通ではなかったり、基本的にノーマル(!?)な感じは夢には出て来ない。
そしてふと思った。
私は一体過去にどれだけ不思議トイレを経験しているだろうかって。
すべて架空だけど”こんな場所のこんなトイレ”とかまとめてみたらかなり面白いんじゃないかって。

トイレじゃなかったら本気でまとめてそうだけどw
トイレほど夢に頻繁に出て来るものもないので、…
…あっ、写真を撮る夢も、ひょっとしたらトイレくらい多くみてるかも。
いいモチーフを見つけて、いい写真を撮ろうとする夢。
普段撮るときも露出とかわりと調整して(頭使って)撮ってるんで、その時の集中が夢に反映されることが結構ある。
かなりいろいろ見てるなぁ、写真撮る夢。
でも、トイレと違って誰とでも共有できる感覚じゃないから、まとめても自分以外は面白くないだろうな。
いつも通ってる美容室。
店長の漫画好き(特にワンピース)から、店舗に漫画棚があるんだけど、行く度に漫画の数が増えている。
美容室と言えば美容雑誌が置いてあるのが一般的だけど、ここでは漫画が読める。
そう言う美容室ってありそうで意外にない気がする。

店長とは、別の店でスタッフをやってた時代から母共々お世話になってて、結構長い知り合い。とにかく毛の多い我ら親子の髪質を理解してくれていて、移転後が少し遠くになったが今でも通っている。
すごい面白くて我が道を行くタイプの人で、店舗のデザイン(下のURLを見てみて)も全部店長の希望で作ったらしい。別室のシャンプー部屋は真っ暗で足元にライトがあって、よくある布を顔にかけたりしなくてもあまり顔が見えないようになっている。
そんな感じにテーマが「キャッスル」っぽい美容室なのに、オープン当時はなかった漫画の棚が少しずつ店舗内を浸食している。
個性があっていいと思うけど、イメージをどちらかに統一した方がいいんじゃ…w
と言う趣味が全面に出た面白い美容室だ。
店長とはアニメ話で盛り上がった事もある。
マニアックな話でも大声で爆笑する人です。

興味のある方は覗いてみましょう↓
http://www.sonton-jp.com/

ただ発したいだけ

2010年3月16日
ミクシィって、結局気づけば紹介なしでも入れるようになってるし、知らない人とマイミクするのが当たり前になってるみたいだし、当初のシステムのいい部分が全部なくなってちょっと残念な感じ。
もともと私のマイミクは少なくて最近じゃ日記書いてる人もあまりいないのでそんなに活用もしてないけど、でも無駄に一日一回は開いている。
ニュース記事が何気にミクシィのが一番面白いんだよね。
あと、記憶スケッチ(見ないで書いてみよう)のアプリが結構好き。


30〜34歳の男性の結婚率が40%くらいしかないって話を聞いた。
時代的な結婚概念の変化もあるだろうし、したいけどお金がないとか、結婚に結びつく付き合いが出来ないとか、理由はいずれにしろなんかとんでもない時代になってしまった気がする。
このままではほんとに日本崩壊だよね。
世界は人口が増えて困っているのに、日本は少子化に悩んでいる。

先日の記事では、子供の将来に対する目にも変化があるとかで、「将来世界で活躍したい」と思ってる子が14%(私的にこの数字は多いような気もしたけど)程度で、大半は「親がいつまでも元気に(?)」とか、なんか忘れちゃったけど、そういった身近な範囲で物事を考える傾向が子供にも現れているらしい。

今の子供たちは、ネットや携帯など文字で会話する事が当たり前の基準となってしまっていて、本来の面と面で向かった会話、そこから空気や感情を読み取る動作と言うものを十分に学ぶ前に、異空間に精神を置いてしまい、動物としての本能が働かなくなり、常識ではない行動を起こしたり、鬱になったり、それを教えるべき大人さえも同じ状況になりかけているから、ただただカオスな世界がそれでも一応成り立って時間を消化していると言う問題。
人間の精神が世の中の進化についていってないとか、ネット上での人間関係が人間本来のあり方とズレている話とか、いつもそんなテーマを考えてるけど言葉がうまくまとまらないが、とにかく漠然と「本能、精神の危機」的なものを常に感じてしまう。

私はそれに気づいて自分なりに考えたり分析したりしてるけど、でも私もすでに時代の闇に取り込まれている一人なのかもしれない。
自分がまともだと言うのも変なので、視点を変えると、客観的に見てもしその人がまともで自然体な人間だったとして、その人が持つ「常識」を超えた事件や発想、『それでも成り立つ世界』を理解できないがために、溶け込むことが出来ず、殻に閉じこもってしまうケース。
まともな人間がどんどん押しつぶされていく感覚。

私の家は穏やかだし、こんな世の中でも平和に回ってるし、周りにいる人もみんな自然な人たちで、私はそんな幸運の中で生きている。
私はただ、人は笑って過ごしていれば安らかに暮らしていけると思ってるんだけど、そんな単純な事もなかなかうまく回らない世の中になってしまった事が受け入れがたい。
子供の教育だって、変に「こうしなきゃ」と気張ったり、悩んだり理屈で考えたりしないで、笑顔で育てれば健やかに育ってくれるものだと信じてるし、精神さえ沈んでいなければきっと何をやったってそれなりにうまく行くだろうし、
…って、そんな理想ばかり見つめて現実の伴ってないのが自分なんだけどね。

なんだろうなー、何度こう言うテーマで考えても答えは出てこなくて、ただ『どうしてこんな世の中になってしまったのか』と言う悲観意識だけが常に後味に残る。
自分の将来の不安が、世界規模な考え方と混じって気づいたらこんなテーマになってるんだろうけど。
今日も良く分からない文章を発して自分なりにすっきりしたところで、
何かいい事ないかなぁと、ゆるい気持ちで期待してみます。

人間の闇が

2010年3月5日
愛子様不登校の記事…
彼女の場合、雅子様の影響を受けてる分「やっぱり…」と言う印象だったが、病みがちな現代人をまさに象徴している状況となった。

人間の心がどんどん修正の利かない方向へ行っいる事。
複雑な世の中が動物の生き方に合ってない。ネットや携帯の普及で直接的なコミュニケーションを取らなくなったせいで、動物本来の本能や意識伝達のあり方が根本的に成り立たなくなっている。
世の中は不必要な利便性ばかりが向上して、肝心の人間の精神が追いついていない。「それ、本当に必要?」と思う新しい技術が次々と話題になる時代。
こんなにもおかしい世の中になると誰が想像していただろう?
徐々に進行していた精神の病。人間がそれに気づいていたのか、気づいていても何も出来なかったのか。
あるいは他人事のように感じているのかもしれない。

私なんかは本気で人間に長い未来はないと思ってるけど、もう進み出してしまった道なので今さら方向転換なんて無理だろうから、そんな破滅の道でも、どれだけゆっくりと迷いながら進むかがそれでも人間が存続する余地になるんじゃないかと思う。

一人の人間の短い人生では把握も想像も出来ない、莫大な数の人生と果てしない時の流れが導いてきた、今の世の中。
人間はもっと素朴に生きるべきだったと思うけど、人間が求める探究心や発想力を無下にする事が正しいとも言えない。
いずれにしろ、結果的に在る今の人間。時代の進化が早すぎて、精神が追いつけなかった現状が導き出した様々な問題。

冒頭の記事のように、こんなところ(国のシンボル)にまで時代の姿が表れるのは必然と言うべきかもしれないが、でもここまで来たかと畏れおいているのが正直な感想だった。